オカマの文章はなぜ良いか~オカマの文体研究~
BSディム。西に住むオカマ。自称スジ筋を見極めるプロ。
童話。東に住むノンケ。筋金入りのPC音痴。
オカマがブログを始めた
ディムさんがブログをはじめましたね。だいぶ好評で、僕自身もかなり刺激を受けました。
そんな刺激になるようなエロいブログじゃないわよ。書こうか?鼻血でるやつ。
ただ、長文を書く機会なんてあまりないから、人様に読んでいただけるレベルなのか分からなくて緊張したわね。
十分鑑賞するに足る文章でしたよ。ディムさんは書く際にどんなことを気をつけましたか?
彼は私の胸元にささくれ立った無骨な指を這わせると、荒々しい息遣いでシャツのボタンを……
「ささくれ立った無骨な指を私の胸元へ這わせると」の方が適切です。あともっと言うとそういう表現は金輪際しない方が適切です。
続き書いて送りつけるぞこのデコスケ野郎!!
文章を書くときに気をつけてるのは、なるべく五感で受け取ったままを伝えるってことだけよ。文章を書く上での技法なんてよく分からないから、とにかく私の感じたすべてを伝えてるだけよ。
デコスケ野郎……?
その割には構成がしっかりしているんですよね。五感をそのまま書くと普通は読みづらくなるんですよ。ちゃんと脳が働いていないとあんな文章は書けない。無意識のうちにやっているなら大したもんです。
自分が文章を書くときの脳の働きを意識化すれば、もっと文章偏差値が上がるかもしれませんね。
昨日チャーハンの上に携帯を置いたまま数十秒気が付かなかったから、たぶん脳は働いてないわ。
脳の動きを意識化すると、より良い文章が書けるのね。でも、どうすればいいの?童話くんは普段どうやって文章を書いているのよ?
僕ですか。そうですね、自分の認識をいかに伝えるかっていうことは常に念頭に置いています。その上で、読み手の理解をイメージしながら書きます。
「伝えたいこと」は言い換えれば「読み手と共有できていないこと」です。「猫は愛くるしい動物だ」なんていう共有された事象は書く必要がないわけですから。共有できていないことをどう共有するか。そのためには読み手の脳の動きを助けるように書く必要がありますよね。何から伝えれば一番共有されやすいか、それを意識しています。
でもさ、ただ細かく書けばいいってものじゃないでしょ?共有するだけなら、見たまま感じたままを細々と書けばいいじゃない。
「35歳独身男のささくれ立った無骨な指(平均より長め)を、白いワイシャツを着た私の小ぶりな胸の上で徐々にスライドさせることにより…」
別に「ただ細かく書け」なんて言ってないですよ。読み手の理解を促進するためには、過剰も不足も避けるべきなんです。
(平均より長め)なんて付け加えたら平均をイメージしなければいけないじゃないですか。それは共有する際には邪魔なんです。ワイシャツも、だいたいが白を思い浮かべるから、この過剰な情報も邪魔。「見たまま感じたまま」なんてのは邪魔臭いんです。書き手の都合を押しつけてはいけない。逆に不親切すぎても共有されない。だから悩むんですよ。書くときに。
分からなくなってきたわ。今度はチャーハンの上にデスクトップPCを置いてしまいそう。
過剰も不足も避けた最適な表現を、書き手はどうやって決めているのかしら?読み手の想像力を、書き手が寸分の狂いもなく想像しなきゃならないってことよね。
寸分の狂いもなく想像することは不可能ですよ。だから伝わったときに嬉しいんじゃないですかね。書く醍醐味ってそれです。ちょっとギャンブルめいた感覚なんだなって最近思います。
ただ金だけつっこむギャンブルじゃあ面白くないですけど、真剣に考えると面白いですよね。真剣に考えた分だけ上達します。必ず。それを信じて自己分析を始めてみましょうよ。まずデスクトップをデスクに置いてください。
確かにギャンブルのようなものよね。非凡の感性を持っていれば、それが仇になるんだもの。
ちゃんとデスクにPCを置いたわ。大丈夫、チャーハンはなかった。それじゃ自己分析を始めましょう。まずはどうすればいいの?
なかなか自分の文章を客観的に見るのは難しいでしょうから、僕なりの見解を述べていきます。それに呼応する形でああでもないこうでもないって言ってってください。
ええ、わかったわ。なんだかよくわからないけど、わかったわ。
オカマの文体解析
ディムさんの文章の優れている点は「描写と論理性のバランス」だと思います。何とも言えない情感は、このバランスがいいからこそです。
描写と論理のバランス……?
ディムさんの文章のテーマは「オカマの多様性」じゃないですか。多様性を描く手段として冒頭部分ではオカマの描写を使用していますよね。後半では星に喩えています。こういった点が何とも言えない情感を引き出している気がします。
描写が過剰だと伝わりにくい。論理性が過剰だと情感は引き出せない。このバランスが絶妙なんですよね。
逆に言うとそういう書き方しかできないのよ。論文みたいな文章を書けって言われても、多分小学4年生が国語のテストで時間が足りなくて錯乱したような文章しか書けないと思うわ。
ブログは何も考えずに書いてるから、そうやって言われると混乱しちゃうわね。次回から小学1年生くらいの文章になりそう。
たぶん何も考えずに書けばいいと思います。これは才能ですよ。意図的にやろうとするとどうしても描写か論述のどちらかが過剰になってしまうもんなんです。もちろんそれらに優劣はないですが、この独特な情感はもっと観察したいので大切にしてほしいですね。
それじゃ引き続き何も考えずに書いてみることにするわよ。このままいくと最終的に「かゆ うま」みたいな文章になる可能性が高いけど。
それにしても、文章の良し悪しってどこで判断されているんだろうね。たとえば描写と論理性のバランスが偏っていても、読み手が名文と判断する場合もあるわけじゃない?
いや本当に、それが不思議なんですよ。「好み」とか「雰囲気」で片付けたくないというか。名文(良文)と判断したからには何かしらの理由があるはずなんですよね。
僕は「オカマというテーマ」に「描写と論理の狭間で揺れ動く文体」がマッチしたから、と考えています。
そっか、テーマそのものでも内容のバランスを整えられるってことよね。たとえば論文のような文体で「機械のように冷徹な男の物語」を書くことで、情感たっぷりに読ませることもできるわよね。
あらゆる文章は元々論理だけでできていて、どのように、どれくらい、どの面から情感の要素を入れるかで書き手の目的と読み手の捉え方が変わってくるんだわ。
そうなんですよ。論理がちゃんとベースに敷かれているのが大前提なんだと思います。
もっと言うなら、情感の正体は、単に語彙や表現レベルの話ではなくて、この文章全体が纏う低体温さ、これなんですよ。
逆に体温の高い文章ってどんなものなのよ?
「荒々しい息遣いでシャツのボタンを外した。心臓が応え、すべての理性を溶かすように、熱い紅血が私の全身を駆け巡った。「あっ……」思わず声が漏れた。看護師の彼が取りだした体温計は、39.2℃を示していた。インフル、マジでヤバい。」的な?
違います。逆です。僕は描写を低体温、論述を高体温だと考えています。「ゲイにも多様性が認められる!」という主張に終始する論述が高体温なら、描写によってゲイの多様性を静かに表すのが低体温。
低体温が情感だってことはよく分かったわよ。高温から低温へ、少しずつ読み手にとって心地良い温度になっていくってことよね。
要するに、体育大学の寮生が全員が入ったあとの大浴場くらいの温度が最高、って話?
文章は上手いけど発想はクソですね。
・編集後記(童話)
どうも、童話です。春ですね。この前久しぶりにサイクリングをしたら前輪からセクハラを受けているOLみたいな音が出てきてなかなか良かったです。
さて今回は文章についてダラダラと話しました。オカマの文体は独特で、研究の余地があると思います。本当は筆者からもっと有用な話を聞き出したかったのですが、聞きたくもない性表現がマシンガンのように撃ち込まれただけでした。勝手にあれこれ考えてみようと思います。
少し付け加えると、文章は、論理式(数式)と詩を両極として、その使用されている描写の割合でジャンルが分かれていると考えられます。例えば詩よりも少し描写の割合を抜くと小説になり、論理式に少し描写を加えると論説文になります。他にも様々な要素があるのですが、別の機会に詳述してみることにします。
真面目な編集後記も書けるというアピールをしたかっただけです。それではまた。
・本日の教訓
作者の気持ちなんて分からない